疲れるのは、働きすぎるからだけではありません。
世の中の理不尽さが「見えてしまう」ことでも、人は消耗します。
たとえば、こんな場面を思い浮かべてください。会議で発言しても流されるのに、男性の同僚が同じことを言うと「いい意見だ」と評価される。家事や育児は「手伝う」と表現され、当然の役割とは見なされない。自然は、人間が必要とするなら壊してもいいものとして扱われる。
こうした場面に気づきはじめると、同じパターンがあちこちに見えてきます。そして一度見えてしまうと、もう見なかったことにはできません。
気づいた人はたいてい、二つの反応のどちらかをとります。「変えなければ」と行動しようとするか、「どうせ変わらない」と諦めて目を逸らすか。どちらの気持ちも、よくわかります。でも、どちらだけでも足りないとわたしは思っています。
この記事で考えたいのは、「抑圧についてどう感じるべきか」ではありません。「そもそも、なぜ抑圧は間違っているのか。その理解から、何ができるのか」という問いです。感情ではなく、論理から考えはじめると、見えてくるものが変わります。
「抑圧」とは何か。なぜそれは見えにくいのか
「抑圧」という言葉は、少し大げさに聞こえるかもしれません。暴力や差別のような、極端な出来事のことだと思う人もいるでしょう。でも、ここで話したいのはもっと日常的なことです。
抑圧とは、特定の人やグループが、社会の仕組みの中で不当に不利な立場に置かれることです。誰か一人の悪意から生まれるのではなく、制度や慣習、言語、日常の習慣の中にじわじわと染み込んでいます。
だからこそ、気づきにくいのです。
賃金格差を例にとってみましょう。多くの国で、女性は同じ仕事をしても男性より低い賃金を受け取っています。これは「誰かが差別しようと決めた」から起きているのではありません。価値を決める仕組みそのものが、長い間一度も問い直されないまま使われてきたからです。
同じ構造は、ジェンダーだけに限りません。人種、性的指向、階級。「あのグループは違う」と定義され、「違う」が「劣る」に変わり、「劣る」から「差別されても仕方ない」という話になる。このパターンが、あらゆる場所で繰り返されています。
そして、このパターンは人間の社会の外にも及んでいます。
わたしたちは長い間、自然を「人間のために存在するもの」として扱ってきました。必要があれば木を切り、動物を殺し、生態系を壊すことを当然としてきました。でも、「そもそも自然は人間のためにあるのか」という問いは、ほとんど立てられてきませんでした。今月は、その問いから考えはじめたいと思っています。
この連載で扱う、三つのテーマ
では、抑圧はなぜ間違っているのでしょうか。
「人が傷つくから」「不公平だから」という答えは、もちろん正しいです。でも、それだけでは説明として弱い部分があります。「多少の不公平は仕方ない」「傷ついても社会はそういうものだ」という反論に、うまく答えられないからです。
この連載では、もう一段深いところから考えます。抑圧が間違っているのは、その土台となっている前提そのものが間違っているからだ、という議論です。
三つのテーマで、この議論を展開します。
一つ目は「支配の論理」です。「あのグループは劣っているから、支配されても仕方ない」という考え方は、どんな論理で成り立っているのでしょうか。その論理を分解すると、成立していないことが見えてきます。
二つ目は「客体化」です。人や自然を「モノ」として扱うとはどういうことか。なぜそれが起きるのか。そして、それが人間への抑圧と環境破壊を同じ根っこでつないでいるのはなぜか。ここを掘り下げます。
三つ目は「相互依存」です。抑圧的なシステムは「強い者は誰にも頼らず生きられる」という嘘の上に成り立っています。でも実際には、どんな人も、どんな社会も、互いに依存しながら成立しています。この事実を認めることが、なぜ大切なのかを考えます。
知るだけでは足りない。それでも、知ることには意味がある
この三つを理解しただけで、世の中が変わるわけではありません。このタイトルは、自分自身への戒めでもあります。
それでも、知ることは無意味ではないと思っています。
抑圧が続く理由の一つは、「これが普通だ」という感覚が広く共有されているからです。問題が見えていても、名前をつけられなければ、何かがおかしいとしか言えません。でも、論理の構造が見えると、「これは仕方ないことではなく、特定の前提から生まれている問題だ」と言えるようになります。
言語化できることは、小さな変化のように見えて、実はとても大きなことです。おかしいと感じながらも飲み込んできたことに、ようやく言葉が与えられる。その瞬間から、対話が始まります。
もちろん、個人が気づくだけで問題が解決するわけではありません。抑圧は構造的なものですから、変えるためには構造への働きかけも必要です。でも、「見る」ことが出発点になることは確かです。見えていないものは、変えようがないからです。
この連載でできること、できないこと
今月の連載では、三つのテーマをじっくり掘り下げます。
最初は「支配の論理」。差異を序列に変える考え方の仕組みを解きほぐし、それを拒否するとはどういうことかを考えます。次は「客体化」。人や自然が「モノ」として扱われるとき、何が起きているのかを見ていきます。三つ目は「相互依存」。わたしたちは互いに、そして自然に依存しながら生きているという当たり前の事実を、社会の仕組みに取り戻すとはどういうことかを探ります。
どれも、簡単な話ではありません。でも、難しすぎる話でもないとわたしは思っています。丁寧に分解すれば、必ず見えてくるものがあります。
この連載は、「抑圧のない社会をこう作ればいい」という答えを提供しません。正直に言うと、そんな答えはまだ誰も持っていないと思っています。でも、問題の構造を理解することは、答えを探すための地図を手に入れることです。地図があれば、どこに向かえばいいかが少し見えてきます。
大きな変化は、一度の決断から始まるのではありません。「これが当たり前だ」と思っていたことへの、小さな疑問の積み重ねから始まります。この連載が、その疑問を持つきっかけになればと思っています。
あなたは日常のどんな場面で、「何かおかしい」と感じますか。職場でも、家庭でも、ニュースを見ていても、どんなことでも構いません。ぜひニュースレターに登録して、コメントで聞かせてください。連載はニュースレターでお届けします。








