修理は日本文化の一部だった

ファッション産業が環境に与える影響の大きさを知って以来、私は何を買うかとても慎重になっている。古着やヴィンテージにはたくさんの選択肢があることを知った。また、服や靴を長持ちさせるように心がけている。

5年前にVejaで買った白いスニーカーをとても気に入っていたが、時と共に古くなってきた。靴底は擦り切れて、色も黄ばんできた。

以前は靴がすり減ったら、新しい靴を買っていた。新しいものを買った方が安上がりだと思ったからだ。ネットやお店で安い靴が手に入る。でも、私たちが毎年捨てている大量の服や靴が環境破壊を引き起こしていることを考えると、捨てる代わりになるものを見つける必要があった。

そこで靴を修理することにした。

修理がビジネスの未来になる理由

ビジネスでは、企業は製品を生産することで収入を得る。売れれば売れるほど、収益は増える。より多くの商品を生産し、販売することなしにビジネスを考えることは難しい。しかし、現在のビジネス構造が環境に与えるダメージの大きさを考えると、この美しい地球を守りたいのであれば、代替案を見つける必要がある。

物資が不足していた時代、人々は私たちの持ち物が壊れたら修理していた。今、私たちは豊かな暮らしをしているが、修理することをやめ、新しいものを買うだけだ。今こそ、企業は修理を復活させる時なのだ。

日本文化からモノを大切にする心を学ぶ

伝統的に、日本ではモノを大切にすることが得意だった。私たちのアニミズムの伝統は、物や自然には魂が宿ると考えられている。この伝統は現代の日本にも残っている。精霊は、自然の中だけでなく、私たちが日常的に使っている物の中にも存在する。だからこそ、モノを大切にするようになる。

人間以外のものに魂があるという証拠はあるのかと言われると、合理的な説明はできない。しかし、物や自然にも魂が宿っていると考えることで、私たちの行動が変わる。私たち人間は、物にも魂が宿っていると思えば、敬意をもって接することができる。

祖父母から受け継いだ物はなぜか捨てることができない。私たちは、祖父母の魂がその物に宿っていると感じるから、捨てることは難しい。

私たちはまた、毎日使うものに不思議な愛着を抱くことがある。私は前のパソコンを7年間使っていた。システムは古く、スピードが遅くなった。仕事には高速なパソコンが必要だったので、新しいものに変える時期が来ていた。

新しい最新のコンピューターを手に入れることは楽しみだったが、同時に古いコンピューターに別れを告げるのが悲しかった。7年間、私の生活の一部だったからだ。本当に仲の良かった友達に別れを告げるような気分だった(実際、新しいパソコンに問題があったときのために、そのパソコンは保管しておいた)。

この前、修理したスニーカーにも魂が宿っている。家族からの誕生日プレゼントだったので、履いていると家族の愛情を感じる。一緒にいろんなところに行った相棒でもある。修理することで、今でも私の人生を豊かにしてくれている。

もったいないの文化

日本語には「もったいない」という言葉がある。まだ使えるものを捨てようとするとき、この「もったいない」という言葉が頭をよぎる。

実はこの言葉、仏教に由来するもので、”本来の価値を失うことは残念なことである “という意味である。モノやコトが時間と共に本来の価値を失うことは確かにあるが、それを遅らせるためにできる限りのことをしたいものだ。

日用品を大切にするのは、「身の回りのものがあるからこそ、私たちは生かされている」という仏教の考えからきている。私たちは一人で生きているわけではない。

今度、持ち物を捨てようと思ったとき、そのモノが本来の価値を失ってしまったことがどれほど残念なことなのか、だから別れる必要があるのか、考えてみてほしい。

「もったいない」と思えれば、そのモノの価値を少しでも長持ちさせる方法が見つかるかもしれない。

シャアしましょう