バレンタインデーは、ロマンティックな愛を祝う特別な日。現代社会では、恋愛は幸せな人生に不可欠なものとされており、仕事やその他の面で成功を収めても、恋愛がうまくいかないと人生の失敗者のように感じる。バレンタインデーは、そんな社会の価値観を私たちに突きつけている感じもする。
また、誰と、どのように愛し合うかが社会規範によって制限される中で、恋愛は常に政治的・イデオロギー的な闘争の場となってきた。女性たちは結婚における自由と平等を求めて声を上げ、同性カップルは愛し合い、結婚する権利を求めて戦ってきた。確かに、以前と比べれば状況は改善されてきたが、今なお自由に愛を育むことができない人々が世界中にいる。
このバレンタインデーには、あらゆる形の愛を認め、祝福することで、私なりの政治的メッセージを込めることにする。
みんな、愛のために戦ってる
愛にはいろいろな形があって、それは人それぞれ。
しかし、何百年もの間、男と女の間の愛だけが「正しい」形の愛だとされてきた。愛は子どもを作って育てるためだけのもの。女は無償の家事労働を強いられ、数十年前まで自分の財産を持つことも、銀行口座を開くことすらできなかった。
今は、一部の国では昔より権利は増えたが、この窮屈な愛の形に納得できない人たちは、まだまだ戦っていかなきゃいけない。
異性愛で平等を求める闘い
1960-70年代のフェミニズムで「個人的なことは政治的なこと」って言われたように、異性間の恋愛は女性にとって平等を求める戦いの場。今でも女性の方が家事の負担が重くて、キャリアを追求するのが難しい現実がある。収入面でも、女性の方が収入が少なく、立場が弱くなる。この不平等のせいで、虐待する相手から逃げ出せないこともある。だから女性たちは今も、もっと対等な関係を目指して戦っている。
同性愛を認めてもらうための闘い
長い間、特に欧米の国では、同性愛は禁止されていて、法律で罰を受けることもあった。今でも同性婚が認められているのは世界で38カ国だけ。日本でも、まだ同性同士が結婚する権利は認められていない。男性同士、女性同士、そしてノンバイナリーの人たちは、異性カップルと同じように自分たちの愛も認められるため、今も戦い続けている。
恋愛至上主義からの解放を目指して戦う
恋愛関係を必要以上に重視して、それを理想化する社会がある。友達とばかり遊んでいると、「もう大人なんだから、本当の愛を探すことに時間を使った方がいいよ」なんて言われたりする。でも、最近は少しずつ変わってきている。恋人じゃなくて、友達と一緒に将来を考える人も出てきているくらい。恋愛関係がある人も、友情や他の人間関係も恋愛と同じくらい大切にしている。
フランス人記者・ライター、アリス・レイボによると、友情や恋愛以外の関係を大切にするのは、単なる個人の選択ではなく、政治的なアクションにつながるという(Raybaud 2024: 14)。家父長制的な縛りと闘うために、友情は私たちに力を与えてくれて、強くしてくれる存在となる。
恋愛から離れて平穏な生活を求める闘い
独身であることは、世間的にはなんとなく寂しいものと思われがちだ。テレビや映画でも、独身女性が必死に恋愛を追い求めるストーリーばかり目にする。でも最近は、そんな見方も少しずつ変わってきている。SNSを見ていると、独身生活を自分から選び、楽しんでいる女性たちの姿がよく目に入る。
嘘をついたり、自分の都合のよいときにしか連絡してこない男性との関係で振り回されるのにうんざりした女性は、満足できない関係に縛られるよりも、自分の心の安らぎと精神的な安定を大切にしたいと思うようになった。以前は、結婚をせず幸せな生活を送るのは難しかったが、今は違う。私たちには様々な権利があり、自分の力で生活していけるようになった。だからこそ、パートナーに対する基準を下げる必要はないし、妥協する必要もない。それは、すごくいいことだと思う。
さまざまな愛の形を祝福する
恋愛だけに目を向けるんじゃなくて、もっと広い愛の形に注目したい。どんな愛の形も同じように大切で、祝福されるべきものだと思う。愛の定義について調べてみると、哲学者たちがいろんな定義を出していることが分かった。それぞれの定義は確かに愛の一面をうまく表現してるけど、愛の本質を完全に言い表せてるわけじゃない。
結局のところ、これが「本当の愛」っていう一つの答えなんてないと思う。人それぞれ、愛の感じ方が違い、正しい愛の形は存在しない。
「私たち」という一体感としての愛
恋愛における愛というのは、二人が一つになって「私たち」という統合体を作り出すことだと言われている。そうすると、お互いの関心事も一つに溶け合って、個人のアイデンティティは「私たち」という共通のアイデンティティに変わっていく。これは家庭を築いたり子育てをしたりする時には良い面もある。チームとして協力し合えるから。
でも、この「私たち」というアイデンティティには問題も潜んでいる。その代表的なものが嫉妬だ (Grahle in McKeever and Saunders 2022: 179-197)。「私たち」という意識が強すぎると、相手を自分のものだと思い込んでしまう。そうすると、まるで自分の私有財産のように、自分の欲求や利益を満たすために相手を自由にコントロールする権利があると感じさせる。一方、この私物化は、他の人と親密な関係を築くことを妨げる。だから、パートナーが自分以外のことに興味を持ったり、他の人と関わったりすると嫉妬心が芽生えてしまう。
「私たち」という意識を持つことで自分のアイデンティティが変化してしまうから、関係が壊れることへの不安が頭から離れなくなってしまう。パートナーが浮気でもしようものなら、それまで築き上げてきた「私たち」という自己認識が崩れ去って、大きな精神的ダメージを受けることになる(Carroll in Grau and Smuts 2024: 511-520)。
確かに「私たち」という一体感を持つのは素晴らしいことだけど、他の人との関係を築くのが難しくなったり、浮気などでそれが壊されてしまうと、心に深い傷を負ったりすることもある。だからこそ、「私たち」という関係を築く相手は慎重に選びたい。
思いやりの心としての愛
誰かを愛するとき、その人のことを大切にする気持ちが芽生える。相手への思いやりがなければ、本当の意味で愛することはできないと思う。大切だと思う気持ちの対象は人だけではない。正義や平等のような抽象的なものを大切にすることもできるし、地球やペットを愛することもできる。大切な人を思いやるのと同じように、思いやることができる。
愛と思いやりは似ているように見えるけど、少し違うところもある。愛していなくても、誰かのことを思いやることはできる。例えば、先生が生徒のことを親身になって思いやることができるが、恋愛感情で愛しているわけではない。
人や物を思いやる気持ちには度合いがある(Jaworska and Wonderly in Grau and Smuts 2024: 251-265)。恋愛の場合は、相手が苦しんでいたり、いなくなったりすると、生活ができなくなるくらい自分ごとのように思いやる。しかし、生徒の成績が悪かったら、気分は落ち込むかもしれないが、そこまで大きな影響は受けない。生徒が学校を卒業して、違う町の大学に進学したら嬉しく思って、お祝いするだろう。
同じように、愛にも度合いがあると言える。恋愛ほど深くはないかもしれないけど、友達やペット、抽象的なアイディアなど大切にしているものへの思いやりも、特別な人への思いやりと同じように価値のあるものだと思う。
理由で説明できる愛
誰かを愛する理由を説明できますか?誰でも、好きな相手の良いところをいくつか挙げることができると思う。優しいとか、正直とか、勇気があるとか、いろいろな理由は思いつく。どんなところに惹かれているのか魅力を使えることができる。
でも、そういう理屈で考える愛には、ちょっと引っかかるところがある。例えば、この人が持っている特徴が好きと言えば、同じような特徴を持っている別の人も好きになれるということになる。もし誰か別の人がもっと素晴らしい特徴を持ってたら、今の愛している人と交換することも可能となる。それは何か違うと感じる。人は物じゃないから、取り替えることができない。一人一人かけがえのない存在だ。
とはいえ、愛する理由を考えることが大切な時もある。例えば、相手から暴力を振るわれるような関係では、なぜその人を愛しているのか考え直した方がいい(Abramson and Leite in Grau and Smuts 2024: 99-114)。趣味で考えてみるとわかりやすい。ギャンブルが好きでハマってても、きちんと理由を考えれば、やめる決断だってできる。暴力的な相手を愛していても、冷静に考えてその人と距離を置くことはできる。
感情としての愛
愛すべき正当な理由は見つけられるけど、その人に対して愛を感じないことがある。愛は理屈ではなく、感情だからだ。誰かに惹かれるとき、その理由をうまく説明できない。なんとなく好きだけど、なぜそう感じるのか分からない。
感情にはいろんな形があるけど、愛は理屈でコントロールできない感情だ(Smuts in Grau and Smuts 2024: 118-141)。例えば恐怖という感情は、理屈で説明できる。自分の身に危機を与えるものに対して、恐怖という感情を感じる。理屈で説明することで、合理的ではない恐怖を克服することもできる。でも愛はそうじゃない。愛は空腹感に似てる。食べ過ぎはよくないことは理屈では分かっていても、空腹感をコントロールすることはできない。だからダイエットは難しい。同じように、誰かを愛してはいけない理由は挙げられても、その人への愛の感情をコントロールすることはできない。
恋愛は症候群みたいなものだとも言われてる(Pismenny and Prinz in Grau and Smuts 2024: 169-183)。感情の表れ方にはあまり個人差はない。恐怖に対する典型的な反応なら説明しやすいけど、うつ病などの症候群の表れ方は人それぞれ。うつ病になると、体重が減る人もいれば増える人もいる。子どものうつ病は、大人とは全然違う現れ方をする。理屈で理解しても、うつ病から抜け出すのは難しい。
愛はうつ病と同じように個人差がある。恋をするとハイになる人もいれば、むしろ落ち着く人もいる。特に周りから影響がなくてもうつ病が発症するように、相手がそばにいなくても誰かを愛することはできる。
恋愛には確かに症候群的な一面がある。おかしくなってしまうくらい好きって言うように、恋愛には自分の精神状態を疑ってしまうときがある。
時を超える愛
一目惚れで恋に落ちる人もいれば、ゆっくりと時間をかけて関係を育む人もいる。誰かを心から愛していても、その関係を続けていくには努力が必要だ。それに、時が経つにつれて愛も形を変えていく。
みな経験があると思うが、長い関係を保つのは本当に大変なこと。最近では、簡単に離婚もできるようになった。身体的・精神的な虐待がある場合は、簡単に離婚ができるのはいいことだ。人生は短いから、長い間苦しむ必要はない。これまでの恋愛に見切りをつけて、新しい出会いを探すのは簡単になった。マッチングアプリだって山ほどある。でも、私たちは愛を使い捨ての商品のように、使えなくなったらすぐに捨てるようになっていないだろうか?ちょっと古くなると、人間関係も含めて、修復しないで新しい物を購入するようになっていないだろうか?
恋愛初期のドキドキ感は楽しいが、それは自然と薄れていくもの。でも、愛が消えるというわけではない。むしろ、時間とともに愛は深くなって、もっと満たされる関係に変わっていく (Ben‐Ze’ev and Krebs in Grau and Smuts 2024: 222-240)。 ただ、最初に恋に落ちるときみたいに、容易なことではない。長く続く関係を育むコツは、いろいろな体験や活動を一緒にすること。愛する人と楽しい思い出を作れば作るほど、愛は深まっていく。
長年連れ添って、まだお互いと過ごす時間を楽しんでいるカップルはたくさんいる。そのような深い愛を育むには努力が必要なのも事実。過去のすれ違いや、一緒に過ごす時間が足りなかったせいで、相手のことを煩わしく感じるカップルも多い。バレンタインデーは、そんな関係を修復して、お互いへの愛を深めるために、もっと質の高い時間を過ごそうって思い出させてくれる、いいきっかけになると思う。
愛とは心を開くこと
人に心を開くのは簡単じゃない。年を取るほど、素直な気持ちで人を受け入れるのが難しくなってくる。過去に傷ついたり裏切られたりした経験が、私たちの心を閉ざす。でも、誰かを愛すると、心の壁を取り払って、その人を受け入れられるようになる。愛があれば、自分の弱さも相手に見せることができるようになる。
だから、時に誰かを愛することを怖いと感じる。無防備になるのはリスクがある。でも、誰かに心を開くことで、愛によって自分自身が変わっていく。誰かを自分の人生に迎え入れるとき、「私たち」という新しい関係性を作るときのように、自分のアイデンティティも変わっていく。
中には私たちにマイナスの影響を与える人もいる。その人と一緒にいると、自分は嫌な人間に変わってしまう。だから自分を守ろうとするのは当然かもしれない。でも、私たちにプラスの影響を与えてくれる人もいる。誰かを心から排除する前に、「良い変化だってあるんだ」と自分に言い聞かせたい。
生きる意味を与えてくれる愛
愛のない人生はなんか寂しい。誰かや何かを愛することは、私たちに生きる意味を与えてくれる(Wolf in Grau and Smuts 2024: 3-15)。毎朝、起きる原動力になる。仕事が嫌いでも、愛する人のためなら頑張れる。
恋人や子供への愛だけが人生の意味を与えるわけではない。この世界で生きていく勇気をくれる友達やペットへの愛もある。仕事や趣味を愛することで、もっとそれに打ち込みたいと感じることもできる。
誰かへの愛でも、何かへの愛でも、この世界には愛せるものがたくさんあるはず。愛があれば、人生はもっと豊かで、もっと意味のあるものになっていくと思う。
愛との向き合い方について考えよう
愛の形は人それぞれで、愛し方も十人十色だと思う。これが正解、というものはない。自分も相手も幸せで、人を苦しめなければ、どんな形でも良いはず。
私は恋愛で幸せだと感じたことがない。異性との恋愛は「私たち」という関係を作ることだという認識があって、女性のアイデンティティーがなくなっていく感じがする。必死に自分のアイデンティティーを保とうとしたけど、結局うまくいかなくて、自分が嫌いになった。恋愛中は選択肢が狭まって、自分には何もできないと無力感を感じた。
私にとって恋愛は感情的なものなので、冷静に誰かを愛せる人がうらやましい。私の場合、愛は症候群的だという説明がしっくりくる。相手のことで頭がいっぱいになって、そのような状態で人生を過ごしたくないと感じる。
恋愛運は良くないけど、支えてくれる家族がいて、大切な友達にも恵まれた。思いやりを持てる人がたくさんいることで愛を感じる。仕事やプロジェクト(この文章を書くことも含めて)など、好きなことをしながら毎日過ごせている。朝を迎えるのが楽しみと感じるような愛に囲まれているのは幸せなことだと思う。
これからは他の人々や地球のことを考えて、いろいろな愛を形にしていきたい。ちょっと怖いけど、新しい出会いや経験にも心を開いていけたらいいと思う。
一番大切なのは、愛によって制限されるのではなく、自由を与えてくれるような愛を見つけていきたいということ。誰か一人だけ、何か一つだけを愛さないといけないというルールはない。たくさんの愛があったほうが、人生は豊かになると信じてる。
みなさんはどのように愛を感じていますか?これからどのような愛を見つけたいですか?
このバレンタインデーは、みんなの多様な愛を祝福する日にしましょう!
参考文献
ヘルム、ベネット 2021. 「愛」 The Stanford Encyclopedia of Philosophy, Edward N. Zalta 編, Fall 2021. Metaphysics Research Lab, Stanford University. https://plato.stanford.edu/archives/fall2021/entries/love/
Grahle (editor), André, Natasha McKeever (editor), and Joe Saunders (editor). 2022. 過去、現在、未来における愛の哲学。第1版。Routledge Studies in Contemporary Philosophy. Routledge.
グラウ(編者)、クリストファー、アーロン・スマッツ(編者)。2024. The Oxford Handbook of the Philosophy of Love (Oxford Handbooks). オックスフォード大学出版局。
Raybaud, Alice. 2024. Nos puissantes amitiés. La Découverte.