どうしてペットは大切にして、家畜は大切にしないんだろう?

私は肉・乳製品・卵・魚を普通に食べていた。バランスのいい食事っていうと、動物性のタンパク質が入っている食事ってイメージがある。でも、どうして動物を食べることが普通になったんだろう?
私たちは犬や猫などのペットが病気になると、高いお金をかけて手術して、苦しまないように考慮する。でも、牛・豚・鶏などの家畜が苦しみながら飼育されているのには無関心。
同じ動物なのに、どうしてこんなに対応が違うんだろう?

「それが当たり前だから」が動物の苦しみにつながる

今の動物の飼育状態はひどい。小さい空間に詰め込まれて、身動きも取れないで飼育される。
日本では一年で1600万頭の豚と100万頭以上の牛が殺されて、消費されている。ペットの殺処分は、2018年のデータでは犬は7687頭、猫は30,757頭。

社会学者のメラニー・ジョイは著書の私たちはなぜ犬を愛し、豚を食べ、牛を身にまとうのか カーニズムとはなにか で、「それが当たり前だから」と心理的に距離を置くことで動物を食べる習慣を保っていると説明する。今は牧場や養鶏場は離れたところにあり、動物に触れ合う機会も少ない。

ペットがかわいく感じるように、家畜と触れ合う機会が増えると愛着が湧く。動物が苦しんでいたら、苦しみを減らしてあげたいと思うだろう。
でも、家畜を動物ではなく食べ物として物のように扱うと、どんなに苦しんでいようと鈍感になる。
動物を苦しめながら食糧にするのが「当たり前」になっていいのか?ペットがかわいいから飼うけど、不便になったら捨てるのと同じくらいひどい行為じゃないかと感じる。

ヴィーガンは変わった人だと思われるけど…

私は動物性食品の摂取を減らそうとしているけど、ヴィーガンみたいに全く摂取しないで生活はしていない。ヴィーガンっていうと、ちょっと変わった特殊な人というイメージがある。動物愛護のためでも、全く食べないのはやりすぎって思ってしまう。
でも当たり前に肉や魚を食べているけど、よく考えると変な習慣。他に食べるものがなく栄養が足りないなら、肉や魚を食べざる得ないだろうけど、今は食べ物は豊富にある。
人間は甘い物がおいしいと感じるのは、何千年も前は甘い物が手に入らなかったから、見つけたときにたくさん食べるためと言われている。でも、今は甘い物はどこでも手に入る。甘い物が食べたいと脳が反応するのは、現代の人にとって必要がない。それどころか、甘い物を食べすぎて糖尿病など病気にもつながる。
肉を食べることも同じではないのか?昔は栄養がなかなか取れなかったから、肉や魚から得られる栄養が大切だった。人間の脳は肉をおいしいと感じる。でも、今は栄養が十分に摂れるけど、肉や魚をおいしいと感じる。
一部の動物は食べてもいいと思うのは「カーニズム」という思想だと、社会学者のメラニー・ジョイは呼ぶ。名前をつけることで、私たちのしていることは「当たり前」「普通」ではなく、思想に基づいた行動だと気づく。
何も考えずに信じている思想。よく考えると、思想でこれだけ動物の苦しみに鈍感になるのが不思議。ヴィーガンは変わっていて特殊だと思っていたけど、カーニズムのほうが変わっていておかしいと感じるようになった。

アニマルウェルフェアについて考える

私はまだヴィーガンのように全く動物性食品を食べないようにできない。でも、人間が食べるために苦しむ動物が減ることを願って、肉や魚を毎日食べることをやめた。
別に毎日食べなくても、普通に生きていける。肉や魚のおいしさは毎日楽しめないかもしれないけど、週に1、2回食べるときにありがたみを感じられる。
アニマルウェルフェアだけではなく、私たちが当たり前にしていることが見えない人や動物に苦しみを与えているかもしれない。
一部の動物や人間の苦しみに無関心になることは、差別につながる。ペットは大切にして、家畜は差別している。「それが当たり前」で差別をして、一部の人や動物を苦しめている可能性があると気づいた。