エコやSDGsなど、ここ最近になって環境汚染の問題が取り上げられていますが、実は環境保護運動は1960年代に始まっていたのです。そのきっかけを作ったのが、レイチェル・カーソンという作家・生物学者でした。
この記事では、レイチェル・カーソンとはどんな人なのか説明します。著書や名言など、彼女から学べることがたくさんあります。
レイチェル・カーソンってどんな人?
レイチェル・カーソンは、1962年に出版された「沈黙の春」の著者として有名です。この本では農薬の危険性について訴え、1960年代の環境保護運動の引き金となりました。
環境保護運動にとって重要な人物のレイチェル・カーソンは1907年にアメリカのペンシルベニア州で生まれました。裕福な家庭ではありませんでしたが、母親は結婚する前に教師をしていたので、幼い頃から子供に文学を教えていました。文学好きな少女だったカーソンは、作家になるためにペンシルベニア女子大学に進学し、文学を専攻しました。
しかし、大学で生物学の授業を受けてから、生物学に興味を持つようになりました。生まれ育った場所は自然に囲まれていて、小さい頃から自然の世界との関わりが強かったのもあります。そして、専攻を生物学に変えることに。生物学でもいい成績を残し、ジョン・ホプキンズ大学で修士を勉強しました。
海洋生物学者としてのキャリアを目指していましたが、女性が国立機関で仕事を見つけるのは難しいと言われてしまいます。カーソンは修士号を取る前に、大恐慌によってアメリカの経済が悪化。奨学金をもらって勉強していましたが、家族を支えるために仕事を見つけなければいけませんでした。父親を亡くしてから、カーソンは母親や兄弟の生活を支える必要がありました。
アメリカ連邦漁業局で外部への記事の作成をする仕事を見つけ、働くことに。科学の知識を持っていて、文才があったカーソンは適役でした。
カーソンは仕事を見つけましたが、作家になる夢を諦めていませんでした。空いている時間や週末は執筆に時間を費やしていました。作家を本業にして働きたかったのですが、当時の作家としてもらっていた給料では家族を支えることができずに断念。一方、国際機関での仕事で昇進でき、海洋生物学者になることができ、給料も上がりました。しかし、母親や兄弟の家族を支えるには女性一人の給料では足りませんでした。
仕事をしながら、本や記事の執筆を続けていました。ある日、雑誌に記事が掲載され、本の執筆のオファーが入るようになります。そのチャンスをつかみ、「われらをめぐる海 (Sea Around Us)」という本を書いて、話題になりました。
アメリカ連邦漁業局で働いていたときから、殺虫剤などに使われるDDTという化学物質の影響を懸念していた彼女は、「沈黙の春」の執筆を始めました。始めは短い本を書くつもりでしたが、殺虫剤や農薬の自然への影響を調べているうちに、4年もの時間がかかりました。ちょうど同じ時期に昔から患っていた乳がんが悪化。癌の治療をしながら執筆を続け、1962年に出版することができました。
その後、カーソンは1964年に癌により56歳という若さで亡くなりました。
レイチェル・カーソンの考え方から学ぶ、人間の自然との関わり方
カーソンは農薬や殺虫剤の危険性を警告した一人ですが、自然が好きな彼女の美しい地球を守りたい気持ちが感じられます。生物学者としての知識も豊富ですが、専門家でなくても分かりやすい言葉で伝えているのが魅了です。「沈黙の春」から学ぶ、自然との関わり方について紹介します。
殺虫剤は生物破壊につながる
「沈黙の春」では、農薬や殺虫剤の危険性について綴られています。化学物質で害虫や雑草をコントロールしようとすることで、ほかの生き物への影響を与えていることを訴えています。殺虫剤をばらまいたエリアから鳥がいなくなり、「沈黙の春」が訪れる。化学物質は土から水へと流れ、水の中に生きる生物へも影響を及ぼします。農薬のついた草を食べる家畜にも影響を与えます。
最終的には人間も化学物質の影響を受けた生き物を食べるので、人間のためにも化学物質の使用には慎重にならなければいけないと主張。化学物質が人体に安全と言われる水準は、一回の使用によるデータから出されたもので、化学物質が自然の中や人間の体の中に蓄積されて、それがどのような影響があるのか分かっていないことを懸念しています。
化学物質を含む殺虫剤は害虫だけでなく、ほかの生き物を殺しています。すべての生き物はつながっていて、一つの生き物がいなくなることで、他の生き物にも影響を及ぼします。カーソンは殺虫剤について次のように語ります。
They should not be called “insecticides” but “biocide”.
「殺虫剤」ではなく、「生物破壊」と呼ぶべき。
ほかの生物や環境への影響を考えないで農薬や殺虫剤を使うことで、美しい自然がなくなってしまいます。
殺虫剤や農薬を使うことはいけない理由
環境を守るためには、殺虫剤や農薬などの化学物質の使用は慎重にならなければいけません。カーソンは化学物質の使用を禁止しなければいけないと言っているわけではなく、化学物質が環境や他の生き物にどのような影響を与えるのか研究してから、商品化するべきと訴えています。
化学物質を使って、自然をコントロールしようとする行為をカーソンは「生命への戦争」だと表現します。教養のある文明がすることなのか、疑問視しています。
インタビューでカーソンは、人間も自然の一部なので、これらの行為は「人間に対する戦争」とも言えると話しています。一部の害虫だけを科学物質で退治しようとしても、人間も自然の一部なので、人間にも影響があるということです。
私たちが化学物質の使用に慎重にならなきゃいけない理由は、人間にも悪影響を与えている可能性があるからです。実際に殺虫剤の使用法を間違ったことによって、健康に害を与えたケースを本の中で細かく説明している。
環境倫理では、どんな理由で自然を守らなければいけないのか2つに分かれます。
- 人間が生き延びるために自然を守る
- 自然は人間と同じくらい価値があるので、生きる権利がある
カーソンの自然への関わり方を見ると、カーソンは人間のために自然を守らなければいけないと訴えつつ、人間は自然の一部だと考えているので平等だと思っているとも捉えられます。
レイチェルカーソンの環境活動への貢献
カーソンの本は完璧な科学的知識が備わっていますが、難しい言葉を使わず、一般人にも分かりやすい単語を使って書かれています。だから多くの人に影響を与える本なのです。
環境保護や農薬問題に声を上げる科学者はいたが、これだけ多くの人に環境保護やエコロジーを広げられたのは「沈黙の春」という本がただ知識を与えるだけじゃなく、人の心を動かす作品だったからではないでしょうか。
「沈黙の春」が出版されてから、数年後にEarth Day (地球の日)ができ、地球のことを考える日が作られました。
女性の科学者としての成果と苦悩
カーソンはフェミニスト運動に参加していませんでしたが、女性科学者として苦悩もありました。
カーソンが学生のころに書いたエッセイにはフェミニスト的なメッセージが込められていた。「Why I Am a Pessimist(どうして私は悲観的なのか)」という物語には、家で飼われている猫が家族と同等の一員になりたいという話だったり、「The Golden Apple(黄金のりんご)」というストーリーには、なぜ女性は自分で決定できず、父親や夫やほかの男性が決定権を持っているのかという内容が書かれていました。
カーソンは生涯、結婚することなく、働きながら家族や兄弟を経済的に支えていました。結婚しなかった理由は、カーソンの母親が結婚しろと言わなかったからだと考えられます。カーソンは生物学を研究したり、本を執筆したりとクリエイティブな生活に満足していたから結婚しなかったのではないかという説もあります。
しかし、結婚していなくても、女性であることから家の仕事や家族の世話などの負担は多かったです。カーソンの母親が元気だったころには、母親が家事や家族の世話をやってくれていたが、母親も高齢になると世話が必要になります。
カーソンは本の執筆で忙しいときに、家族の気持ちを害したくないけど、家事や家族の世話が1ヶ月でいいからなくなったらいいのに、と友人への手紙に綴っていました。(Arlene R. Quaratiello 2004: 67) 家族のことは好きだけど、本の執筆に集中したいという気持ちが強かったのです。女性が家族の世話をしないことは、家族を愛していないと思われてしまいます。カーソンが男性だったら、同じ悩みを抱えただろうかと考えてしまいます。そして、今でも家族の世話を優先しなければいけない女性が多くいることはあまり変わっていないように感じます。
カーソンは「沈黙の春」の出版後、化学薬品会社などから多くのバッシングを受けました。バッシングの内容はカーソンが女性だというところに集中。カーソンは「Spinster」、高齢になっても未婚だという侮辱する言葉で批判されたり、「うさぎ好きの動物愛護の女」という感情的な女の言葉は信じられないという批判もありました。
しかし、カーソン自身は感情的な女性とはかけはなれていて、テレビのインタビューでは品があり、落ち着いて質問に答える姿は批判でのイメージとは真逆でした。カーソンは「沈黙の春」を執筆するために多くのデータを集め、自分の主張をバックアップする証拠をたくさん提示している科学者でした。
レイチェル・カーソンが残したメッセージ
カーソンは執筆を通して、多くの人に自然の素晴らしさを伝えました。「好奇心」と「謙虚さ」を持てば、自然や人間自体を破壊する行為をしなくなるはず。カーソンは「好奇心」と「謙虚さ」を忘れないでというメッセージを送っています。
カーソン自身も生物学の勉強が終わった時に、生物学は勉強すればするほど知らないことがたくさんあり、毎年研究で新しいことが発見されると感じていました。
大学でスピーチを頼まれたときには次の世代の学生にこう語りました。
“Your generation must come to terms with the environment. Your generation must face realities instead of taking refuge in ignorance and evasion of truth. Yours is a grave and a sobering responsibility, but it is also a shining opportunity” (121).”
「あなたたちの世代は自然環境を受け入れることをしなければいけない。あなたたちの世代は無知や真実から逃げないで、現実を見なくてはいけない。あなたたちには重々しい責任だけど、輝かしいチャンスでもある。」
Arlene R. Quaratiello 2004:95
カーソンが次の世代に伝えたかったことは、今、自然環境で起きていることに目を背けないで、自然を守ってほしいということ。60年後の今ようやく人間が自然を壊して、それがどのように人間へも影響を与えるのか感じられるようになり、カーソンが言っていることが正しいことが分かります。
環境と向き合うことはとても重々しい責任だけど、美しい自然を取り戻すという輝かしいチャンスだと考えたいですね。
レイチェル・カーソンのように好奇心と謙虚さを大事にしよう!
自然環境を守って、次の世代もその次の世代も住み続けられるようにしたいですね。自然についてもっと知りたいと思い、自然をコントロールしようと思わない謙虚さも大事にしながら、レイチェル・カーソンのように自然との関わりを大切にしたいと思いました。
参照:Arlene R. Quaratiello (2004), Rachel Carson: A Biography, Prometheus Books, 2010
参照:Rachel Carson (1994), Silent Spring, Houghton Mifflin